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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和31年(ワ)73号 判決

原告(反訴被告) 小野塚たね

被告(反訴原告) 山中春之助

被告 有馬徳次 外十一名

主文

第一目録の一記載の宅地及び第二目録記載の建物が原告の所有であることを確認し、被告徳次、同英雄、同栄吉、同茂雄、同好成、同保子、同英子、同光子、同桂子、同洋子、同登久子、同浩平は原告に対し右物件に対する所有権移転の登記手続をせよ。

右物件の四十二分の三十六の持分について昭和三十一年五月二十三日為した売買契約の無効なることを確認し、被告徳次、同英雄、同栄吉、同茂雄、同好成、同保子、同春之助は原告に対し昭和三十一年五月三十日浦和地方法務局行田出張所受付第二〇六八号をもつて為した共有権売買登記の抹消登記手続をせよ。

原告その余の請求はこれを棄却する。

反訴原告の反訴請求はこれを棄却する。

訴訟費用中本訴の費用は被告等の負担とし、反訴の費用は反訴原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は本訴について被告徳次、英雄、栄吉、茂雄、好成、保子、光子、桂子、洋子、登久子、英子、浩平は別紙第一目録の一及び第二目録の一、二物件が原告の所有であることを確認し、原告に対し所有権移転登記手続をせよ。被告徳次、英雄、栄吉、茂雄、好成、保子、英子、光子、桂子、洋子、登久子、浩平は別紙第一目録の一及び第二目録の一、二記載の物件に対する浦和地方法務局行田出張所昭和三十一年五月三十日受付第二〇六六号による移転登記抹消登記手続及び第二目録の一、二記載物件に対する同出張所昭和三十一年五月三十日受付第二〇六七号を以てなした所有権保存登記抹消登記手続をせよ、被告徳次、英雄、栄吉、茂雄、好成、保子、春之助は同人等が別紙第一目録の一及び第二目録の一、二に対する浦和地方法務局行田出張所昭和三十一年五月三十日受付第二〇六八号に基きなした持分譲渡契約は無効なることを確認し、原告に対し同登記の抹消登記手続をせよ、訴訟費用は被告等の負担とする。との判決反訴についてはこれを棄却すとの判決を求め、本訴の請求原因として、(1) 別紙目録記載の物件(第一目録の二を除く)は原告が、昭和七年二月中原告の夫亡小野塚熊蔵より贈与を受け、以来未登記のまま今日まで二十四年余所有の意思を以て占有を継続して来たものである。(2) その間熊蔵は昭和七年四月一日死亡し、長男栄治が家督を相続したが、栄治も翌五月十日死亡し、同年六月七日右栄治の弟正二が家督を相続した。正二は昭和十三年五月六日小野塚ふみ子と婚姻したが、同人間には子供なく、昭和十七年出征し、同二十年九月十一日戦死した。そこで原告は自から昭和二十一年七月三十日右正二の妻ふみ子を家督相続人に選定し嫁姑で暮していたところ、ふみ子も昭和二十五年四月死亡するにいたつた。(3) ところで、原告は別紙第二目録の二の家屋の一部を十数年前から隣家中川一男に賃貸していたが、原告方ではその家屋の必要に迫られ、昭和三十一年二月二十日右中川一男に対し御庁に明渡の訴を提起した。(昭和三十年六月十六日調停を申立てたが不調となる)右中川一男はたまたま、本件物件が前記のような相続関係にあることを知り、右ふみ子の兄弟である被告(但し春之助及び英子以下を除いた被告)を説得し昭和三十一年五月三十日右ふみ子の相続人として本件物件に対し相続登記をなさしめ、同時に、右中川一男の妻の叔父である被告山中春之助に被告徳次以下六名の各持分合計四十二分の三十六を譲渡せしめた。(4) しかしながら本件物件は前記のように昭和七年二月原告が夫熊蔵より贈与を受け以来二十四年余所有の意思を以て占有して来たもので右ふみ子死亡の当時は既に原告の所有に帰し、被告等(春之助以外の被告)はふみ子の相続人として取得し得ないものであつた。仮に相続当時所有権を取得していないとしても昭和二十八年四月にはいずれの方面よりも所有権を取得している。従つてふみ子の相続人である被告春之助以外の被告等は本件物件に対する相続はなし得ないのみならず、かえつて原告に対し所有権の移転登記をする義務があり、既になした保存登記及び相続登記は抹消する義務がある。被告春之助は被告徳次以下六名の所有でないことを知り不法に本件物件を取得せんとしたものでその譲受は民法第一条の信義誠実の原則、同第九十条の公序良俗に反することを目的としたもので無効であるからこれを抹消する義務がある。即ち、本件物件は原告祖先伝来のもので父神林為七死後原告が姉等と共有者となつたこともあつたがその後原告の亡夫熊蔵の名義となつたのである。右熊蔵は初め原告の姉神林なかと入夫婚姻したが、なかが死亡したので原告と明治四十年頃再婚し大正三年三月十一日その届出をした、しかして原告と熊蔵との間に一女二男があり、熊蔵が健康勝れず病床について昭和七年四月一日死亡したが当時長男栄治も病身で次男正二と熊蔵とは折合が悪しく長女信子は他に嫁しておつたので熊蔵は原告の将来を考慮し死亡二ケ月前の昭和七年の二月頃本件物件を原告に贈与し速に移転登記を要望したが多忙のため登記手続未済中熊蔵が死亡し長男栄治が家督を相続したが同人も翌五月十日死亡しその後次男正二が相続人となり原告に孝養を尽すので未登記のままとなつていた。正二は昭和十三年五月六日有馬ふみ子と結婚したが正二が昭和十七年出征し同二十年九月十一日戦死した。正二に子供がなかつたので昭和二十一年七月三十日戸籍吏にいわれるままにふみ子を家督相続人に選定し嫁姑として同居していたのにふみ子も病弱で病状追々進み原告の看護にもかかわらず昭和二十五年四月四日死亡するに至つた。被告徳次、同栄吉、同茂雄、同好成、同保子はふみ子の兄弟姉妹で被告英雄はふみ子の姉ムネの長男、被告英子、同光子、同桂子、同洋子、同登久子、同浩平はふみ子の姉好子の子である。ところが中川一男は原告と訴訟中原告家が前述のような戸籍関係になつており本件物件を原告に移転登記をしていなかつたのを奇貨とし何者かがふみ子兄弟である被告徳次等に勧めて本件物件に対し保存登記及び相続登記をなさしめ更に追奪をおそれ被告春之助に譲渡せしめた。原告は両親に早く別れ盲人の祖母を抱え夫及び長男はともに病弱で早死し次で次男は戦死し嫁も死亡しその薄幸を歎きつゝある際本件のような問題ができたのは余りにも酷である。原告は本年六十六才、女一人にて今日まで悪戦苦闘酒類商を営んでいたが老齢孤独となり致し方なく中村繁治に嫁した長女信子を呼び戻し長女夫婦の扶養を受けているが本件物件に対し依然占有を継続し家屋の家賃を収受納税をし使用収益をしている。しかしてふみ子は正二と結婚当時姉好子の嫁先き広田元治方に寄寓し同人方から嫁入りしたのでふみ子は広田方には相当世話になつたのに同人方では本件物件に対し欲求なく、縁薄き他の兄弟姉妹が老齢な原告の汗とあぶらの結晶である本件物件を潜取せんとするのは道義上許されるべきでない。本件に至る発端は原告と中川一男間の家屋明渡事件にあつたこと疑なく被告春之助の姉婦きの子ヨシは現に中川一男の妻であり、春之助方は料理業を営み中川一男の長男浩一が現在春之助方に同居し春之助方の営業に従事している。従つて中川一男と相謀り事情を知悉しながら昭和三十一年五月三十日被告徳次以下五名より本件物件を買受けたものである。前記のように原告は本件物件を昭和七年二月前所有者熊蔵より贈与を受けたものであり、仮にその贈与が認められないとしても熊蔵死亡後二十四年間平穏公然に所有の意思を以て占有し使用収益して来たのであるから昭和十八年三月一日善意無過失の時効により所有権を取得した。善意無過失が認められないとしても昭和二十八年三月一日完全に時効により所有権を取得したものである。よつて、被告徳次以下十二名(被告春之助を除いた以外の被告等)が登記したときは既に原告の所有物件であつたので、昭和三十一年五月三十日為した保存登記及び相続による移転登記は何れも事実上権利を有しない登記で無効であるからその抹消登記と同時に原告の所有権の確認及び、原告に対し所有権移転登記手続を求める。被告春之助に対する譲渡は同人が本件物件が原告の所有で被告徳次以下五名の不法行為なることを認識しながらこれに加工し被告徳次以下五名が本件物件に対し表見相続権あるを奇貨としてこれを潜取せんとする行為に参加し登記をなさしめ、しかる後譲渡を受けたもので民法第一条同第九十条に反する行為であるから右譲渡契約の無効確認とその登記の抹消を求める。反訴に対する答弁として反訴原告の共有権取得は前記の理由により無効であると述べ、立証として甲第一、二号証、第三、四号証の各一、二、第五号証、第六号証の一ないし五、第七号証の一ないし四、(但し七号証の一は、イロハニホヘトチリヌルヲワにわかれる)。第八号ないし第十三号証の各一、二、第十四号ないし第十七号証、第十八、第十九号証の各一、二第二十号証第二十一号証の一、二、検甲第一号証の一、二を提出し、証人中村信子、同広田元治、同須藤希恵、同中川一男、同小林松徳、被告本人有馬徳次(第一回)、原告本人小野塚たねの尋問を求め乙各号証の成立を認めた。

被告徳次、同英雄、同栄吉、同茂雄、同好成、同保子、同春之助訴訟代理人は原告の請求を棄却すとの判決、被告英子、同光子、同桂子、同洋子は答弁書を提出し被告登久子、同浩平両名法定代理人は各原告の請求どおりの判決を求め、答弁として、被告春之助は原告が本件物件を亡熊蔵から贈与を受けたこと、二十四年余所有の意思で占有していたことは否認する。原告主張の熊蔵死亡後の相続関係、被告と中川一男との関係、家屋明渡の訴があつたこと、持分四十二分の三十六の譲渡を受けたことは認めるが中川が被告有馬を説得したものであること及びその他の事実は不知若しくは否認する。被告徳次、同英雄、同栄吉、同茂雄、同好成、同保子は原告が本件物件を亡熊蔵から贈与を受けたこと、二十四年余所有の意思を以て占有していたことは否認する。原告主張の熊蔵死亡後の相続関係、亡ふみ子と被告等との関係、本件物件中の家屋の一部を訴外中川某及び金田某に賃貸していること、本件物件について相続登記、保存登記をなし、その持分を被告春之助に売買譲渡したことは認める。しかし本件物件を熊蔵が原告に贈与したことはない。仮に贈与したとするもその贈与はこれを取消す。またこれは許されないとするも正二は所有の意思を以て昭和七年から占有していたものである。原告の本件物件の占有は所有者小野塚ふみ子の親族として同居して占有していたものであり、家賃はふみ子が取得すべきものを代理して受領していたに過ぎない、ふみ子が昭和二十五年四月四日死亡後は原告が本件物件を占有し且つ家賃を取立てていたこと、本件物件はふみ子が買受けたものでないことは認めるがその他の事実は争う。被告英子、同光子、同桂子、同洋子、同登久子、同浩平は原告の主張事実は全部認むと述べ、反訴原告春之助は反訴被告は反訴原告に対し別紙目録記載の土地建物から退去してこれを明渡せ且つ昭和三十一年九月二十六日から右土地建物明渡済に至るまで一ケ月金四千五百円の割合による金員を支払え、訴訟費用は反訴被告の負担とする。との判決並びに仮執行の宣言を求め、反訴請求の原因として、反訴被告は反訴原告に対して前記のように本件土地建物の共有権移転登記の抹消登記手続の請求訴訟を提起しているが本件不動産につき反訴原告は昭和三十一年五月二十三日訴外の共有権者からその持分の四十二分の三十六の共有権を売買により所有権移転の登記を完了したのである。ところが反訴被告は前示訴外者等の姻族であり本件不動産が売買により反訴原告のため所有権移転登記を完了した以上反訴被告は当然に反訴原告のために本件不動産から退去し明渡さなければならない義務がある。しかるに反訴被告は何等の権限理由なく本件不動産を不法に占有使用しているので反訴原告は代理人をして再三交渉したが言を左右にして応じないのでやむなく請求趣旨の如き判決を求めるため反訴に及んだと述べ、立証として、被告徳次、同英雄、同栄吉、同茂雄、同好成、同保子、同春之助訴訟代理人は乙第一号証の一、二第二号証、第三号証の一、二を提出し、証人須藤希恵、同中川一男、同中川ヨシ、同奥野元七、被告本人有馬徳次(二回)の尋問を求め、甲第一号乃至第五号証の成立、第六号証が新聞であること第七、八号証の成立第十四号乃至第十七号証、第二十一号証全部の成立を認め第九号証を被告茂雄は成立を認めその他被告は不知第十号第十一号証を被告好成は成立を認め他の被告は不知第十二号第十三号を被告徳次は成立を認め他の被告は不知、第十八号第十九号証を被告茂雄同好成は成立を認め他の被告は不知第二十号証を不知、被告登久子、同浩平は甲号証全部の成立を認むと述べた。

理由

本件第一目録の一記載の宅地は元訴外亡神林為七(原告の父)の所有であつたが明治三十六年四月二十四日訴外神林なか、同たま、同たね(原告)三名のため遺産相続による所有権取得の、同日右なかのため同月二十三日持分売渡による専有となり所有権取得の、同四十年三月十四日右たまのため同四十年一月十五日家督相続による所有権取得の、同四十年三月十五日訴外亡小野塚熊蔵(原告の亡夫)のため同日売買による所有権取得の、昭和七年五月三日訴外亡小野塚栄治のため同年四月一日家督相続による所有権取得の同十年三月十四日訴外亡小野塚正二のため同七年五月十日家督相続による所有権取得の、同三十一年五月三十日訴外亡小野塚ふみ子のため同二十九年九月十一日家督相続による所有権取得の及び被告春之助を除いた他の被告等(以下被告徳次外十一名と称する)のため同二十五年四月四日相続による所有権の取得の、更に同五月三十日被告春之助(反訴原告以下単に被告と略称)のため同三十一年五月二十三日被告徳次、同栄吉、同茂雄、同好成、同保子、同英雄、(以下被告徳次外五名と称する)の共有権売買による共有権取得の各登記を経由していること。また、本件第二目録記載の建物については初め木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十坪二合五勺外二階坪八坪七合五勺として前同様神林為七の所有であつたが、明治三十六年四月二十四日神林なか、同たま、同たね三名のため遺産相続による所有権取得の、同日右なかのため持分売渡による専有となり所有権取得の、同四十年三月十四日たまのため家督相続による所有権取得の、同年三月十五日小野塚熊蔵のため売買による所有権取得の各登記を経由していたところ、昭和三十一年五月三十日右物件取崩(事実取崩したものでないことは証人奥野元七の証言で明かである)による抹消登記をした上、同日右第二目録の一、二記載の建物について被告徳次外十一名のため所有権保存の、及び被告春之助のため同五月二十三日被告徳次外五名の共有権を売買によつて取得した旨の登記をしたことは成立に争のない甲第十四号ないし第十七号証、同第二十一号証の一、二によつて明かであつて、証人中村信子、同広田元治、の各証言原告本人小野塚たね尋問の結果並びに口頭弁論の全趣旨によると、原告(反訴被告以下単に原告と略称)の亡夫熊蔵は初め原告の姉なかと入夫婚姻したところ、なかが二三年で死亡したので明治四十年頃(大正になつてから届出)原告と再婚したが熊蔵が神林家に入籍しなかつたこと、原告には当時祖母がおり同人を世話する者に財産をやることになつていて原告夫婦が右祖母と同居していたので本件物件(以下第一目録の二記載の土地を除く)を明治四十年三月売買名義で熊蔵に贈与したものであること、ところが熊蔵が昭和七年四月一日死亡する二ケ月位前子供等が病身であつたり、若年であつたりしたので前に譲られた本件物件を原告に返すからといつて贈与する旨の意思を表示したのであつたがその旨の登記をせずそのままとなつていたため家督相続開始のたびに所有名義が移転し前記認定のような登記関係となつたものであること、しかし原告は右登記の如何にかかわらず本件物件を贈与を受けた時から自分の所有物件としその意思でこれを占有し使用収益して来たものであること等が認められるので、他に特別の事情の認むべきもののない本件においては原告の占有は善意平穏且つ公然に占有していたものと推定されるから本件物件は原告が熊蔵において贈与する旨の意思を表示した時(即ち熊蔵の死亡した昭和七年四月一日から二ケ月前の昭和七年二月一日頃)から二十年(即ち昭和二十七年二月末まで)の時効によつてその所有権を取得したものといわねばならない、右認定に反する証人中川一男、同中川ヨシの証言部分は措信しないその他右認定を左右するに足りる証拠はない。また、当事者間に成立に争のない甲第五号証、同第七号証(全部)、被告茂雄において成立を認めた甲第九号証、被告好成において成立を認めた同第十、第十一号証、被告茂雄同好成において成立を認めた同第十八、第十九号証、並びに証人中村信子、同広田元治、同須藤希恵、同中川一男(一部)同小林松徳、同中川ヨシ(一部)の各証言、被告本人有馬徳次、(二回共一部)、原告本人小野塚たね尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、原告は夫熊蔵死亡後病弱の長男栄治を看護しつつ本件建物で酒類を取売しおり、二男正二の妻ふみ子が昭和二十五年四月四日死亡した後も本件物件を原告所有の唯一の財産とし、ここを生活の本拠として従前とおり酒類の販売商を営んで生活を維持していたこと、本件物件を親戚の者は勿論近隣の人達も原告の所有物件であると信じ何人も疑う者はなかつたこと、また、隣家である訴外中川一男においても本件建物の一部を賃借していたがふみ子死亡後も原告の所有物としてその賃料を同人に支払つていたこと、しかるに原告が老齢独り身で身のまわりの世話をする者がないので他家に嫁していた長女中村信子夫婦を手許に呼び寄せ同人等家族と同居するようになり且つ酒類販売の方法が変つて手ぜまとなつたので右中川一男に賃貸していた建物の明渡を交渉しその調停を申立てたが不調となつたため、已むなく同人に対し建物明渡請求訴訟を提起したところ、中川一男が原告家の戸籍が原告の夫熊蔵が死亡後長男栄治、次男正二が相次で家督を相続し正二死亡後は同人に子供がなかつたので、同人の妻ふみ子が原告の選定によつて家督を相続したのであつたが、戦後相続法が改正されふみ子が死亡した後はその財産はふみ子の兄弟姉妹において相続することになつていることを知り、妻中川ヨシをひそかに本庄市に在住するふみ子の長兄被告徳次の許にやり、原告の財産以外でふみ子の財産がありその財産は兄弟で相続すべきものであるからこれを譲渡してもらいたいといつて交渉させたところ、近時財政おもわしくなかつた同被告はこれを幸いと他の兄弟等にどういう財産であるかの真実を話さず(甲第九、十、十一号証等によると事実をいう反対される虞があつたことが認められる)何んとかうまくいつて説きつけこれが売却に要する委任状等を整え、(もつとも右ふみ子を自宅に呼び寄せ家事を見習わせた上右正二の嫁に世話した被告広田一家の者はこれに応じないことがわかつていたので同人等に話さず、また甲第七号証によると被告徳次以外の者の委任状の委任事項が果して本件物件全部について売買登記の委任があるかどうかは疑わしい)。とにかく売買の話がまとまつたので、中川一男が本件物件に対する共有持分のうち被告徳次外五名の持分四十二分の三十六を金二十八万円(本件宅地が坪当り金五千円位が相当であることは証人中川一男の証言で明かである)という安い値で譲受けることとし、右中川ヨシの叔父被告春之助に出金を頼み、昭和三十一年五月二十三日同人名義で買取り同月三十日その旨の登記を経たことが認められる。右事実関係を改正相続法登記法等からいえば熊蔵が全然所有権がなかつたわけでなく、また被告徳次外五名と被告春之助との間の持分売買が三者通謀による虚偽の売買であつて被告春之助が買主ではないとの主張も立証もないのであるから持分の売買をしその登記をした以上、原告はこれに対抗し得ないので祖先伝来の本件物件を失い無一物となつたとしても已むを得ないとの考えもないことはないが、相続法の改正前にあつては家族制度の下に戸主が死亡し法定または指定相続人がなく法律に従つて家督相続人を選定した場合においては新たに戸主となつた者と家族(ことに姑と嫁との間)との間には扶養関係があつた。また改正法によれば夫婦の一方が死亡した場合生存配偶者は死んだ配偶者の財産を相続する権利があり、子がなくて死亡した者のある場合その者に直系尊属があるときは直系尊属においても相続権があるのである。しかるに法律改正の過渡期的事象から前記のような不合理を生じたのであるから、かような場合の不合理はこれを調整して合理的な解決を為すための措置が講ぜられまた講ずるのが社会一般に当然のこととしているところである。しかるに本件の場合前記のように隣家の中川一男が従前から原告所有の建物として借受けその賃料を払つていたものを訴訟を提起されたとはいえ前記戸籍関係を知るに及んで原告に秘し妻ヨシをして被告徳次に交渉せしめてこれ等の建物土地全部を買取りそのため原告において生活の基礎を失い無一物で社会にほうり出される結果(原告は被告春之助から反訴をもつて本件物件の明渡し及び損害の賠償を求められている)となることを知りながら被告徳次と通じて敢てこれを為すが如きは信義誠実の原則に反するものというべく、また、前述のような過渡期的不合理はこれを調整し、法律改正による不合理を敢てして他人の生活の安定を害しないことをもつて道義上当然とする社会一般の考えであるのに、これに反し過渡期的不合理に乗じて自己の利を図り持分の譲渡を受け原告をして前記のような状態におちいらしめるが如きは公序良俗に反する(現に共同被告中にさえ原告の請求に応ずべきであるとする者がいる)ものといわねばならない。そして、譲受名義人は被告春之助ではあるが同被告において何等本件物件を買受ける必要がなかつたのに中川一男に頼まれて金を出してやりその関係上被告春之助の名義にしたまでであるばかりでなく持分の売買登記に関する書類の当事者双方の代理人となつている者は一方は中川一男の妻ヨシであり他の一方は同人等の娘の夫齊藤幸次であることは成立に争のない甲第二号ないし第四号証同第七号証並びに証人中川一男の証言によつて明かであるからこれ等の者が中川一男を中心として前記事情の下に為した行為であるから被告春之助においてその責を受くべきものであることは勿論であるから右持分の売買は信義誠実の原則に反し且つ公序良俗に反することを目的とした行為で無効の行為といわねばならない。そうだとすれば被告徳次外十一名が結局本件物件が原告の所有であることを争つていることになるので原告の所有であることの確認を求め且つ同被告等に対し登記名義者として原告のため本件物件について所有権取得による移転登記手続を求める原告の請求は正当であるし被告徳次外五名と被告春之助との間の持分の売買は無効であるからその確認を求め、無効の行為に基いて為した持分の売買に関する登記の抹消登記手続を求める原告の本訴請求は理由があるのである。従つて被告春之助の持分の取得を理由に原告に対する本件物件(第一、第二目録記載の物件)の明渡を求めると共に不法占拠による損害の賠償を求める訴は前記のように持分売買は無効の行為であるからその理由はない。なお原告のその余の争点についての判断を省略し且つその余の請求はその理由ないものと認めてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条同第九十二条によつて主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤祐一)

第一目録

一、行田市大字行田字八幡町百六拾五番地

宅地 七拾弐坪壱合弐勺

二、同市同大字同字百六拾五番の弐

宅地 弐坪

第二目録

一、行田市大字行田字八幡町百六拾五番

家屋番号行田弐百六拾七番の弐

木造瓦葺弐階建店舗 壱棟

建坪 拾五坪

外弐階坪 八坪七合五勺

附属建物

木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建住家 壱棟

建坪 拾五坪

外弐階 参坪

二、同所同番

家屋番号行田弐百六拾七番

木造瓦葺平家建店舗 壱棟

建坪 拾七坪七合七勺

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